1年前にトラックに轢かれた死んだ引きこもりの息子。その息子の分の食事を未だに作り続ける母親。その母に辟易する娘の視点で物語が進む。
その娘・チカを最近特に悩ませているのは最近母が執筆を始めたファンタジー小説、いわゆる「なろう小説」だ。
息子が残した書きかけのプロットを遺品から偶然見つけたその日、母親はその小説の執筆を引き継いでしまった。
登場人物としては母と娘が中心だが、もう1人キーパーソンとして息子を轢いたトラックの元運転手が出てくる。小説の執筆をやめさせたい娘が元運転手に相談を持ちかけるが、彼があまりにも拙いその小説の中に無視出来ない熱量を感じてしまう、というところから物語がスタートする。
あらすじから既にかなりキツいが、実際重たくてかなりキツい。
息子を轢いてしまった元運転手が非常に好青年に描かれている分、胃が痛くなる。
娘もあまりに酷い養育状況だし、父親は別居中。全員が苦しんでいる中で母の心はもう壊れかけているという悲惨な状況。
文体自体は平易に書かれていて娘のノリもラノベテイストであり、かなり読みやすい内容だが描かれている事自体はどっしりと地に足のついた再生のメッセージだ。
時代背景の設定がうまく計算されていて絶妙だ。
紆余曲折あって母は異世界小説をネットにアップする運びになる。SNSでもなくブログでもない古典的な小説サイトだ。ブログは既に十分市民権を得ていたと思うが、まだまだ古風なHTMLサイトも現役の時代だ。
2006年といえば、ネット小説がまだ「なろう」という型で確立されていない時代で、2ちゃんがまだ存在しておりソーシャルネットワークのメインストリームだった時代である。YouTubeは音楽を聴くサイトだった。ある意味で素朴かつ、罵詈雑言が野放しの無法地帯と言える時代だ。
掲示板に書く方も書かれる方もお互いに、匿名のやりとりに免疫も想像力もない状態でのやり取りだったと思う。それは、ある意味で現実ではない異世界である。社会的に暗黙のルールが整備され始めた現実の拡張である今のSNSとは趣が違う。まだ誹謗中傷という言葉に真剣に向き合っていたのは被害者だけだろう。ソーシャルジャスティスウォーリアーなんて人種は一般的ではなかった。
この小説は、そんな異世界の地で、小説「タカシの冒険」を執筆する母・フミエの異世界冒険小説と言える。
一見、なろう小説を皮肉った一発ネタに見えて、かなり重ためのテーマを抱えた小説だった。
でも綺麗事に逃げず、説教臭くもならず、汚いものに蓋をしないまま描ききっていて素直に感動できた。
印象的なのが付いていく親を選ぶ場面でチカにかける父親の言葉。
ーー信じたいものを信じるといい。視点によって見えるものは全て違う。......異世界、というんだったか?人間というのは同じ場所にいるように見えて、本当は皆、それぞれの異世界で生きている。まったく別の真実を見ているんだ。ーー
この父親も完璧な父親というわけではなく、愛はありながら家庭に向き合いきれなかった普通レベルにダメな父親だ。
その父親から異世界という逃げ場自体を否定しない言葉が出てくるところが、この小説の優しい視点を表していると言えるだろう。
かなり悲惨な小説ではあるが、最終的な読後感は爽やか。
問題はこの描ききった物語に続編があること。
蛇足にならないような続編がどう続くのか、非常に気になるので続編も読んでみる予定だ。
おすすめ。
0 件のコメント:
コメントを投稿