この本には救いがない。
と、言い切ってしまうのは著者の取り組みに対して失礼に当たるかも知れない。が、率直に感じたのはそういう感想だ。
常人では理解のできない凶悪な犯罪や、あまりにも短絡的な犯行で捕まってしまう犯人は、何か別の世界、全く異なる価値観で全く別の物を見ているのではないかと思う事があった。綺麗事のように感じるかもしれないが、見方によっては被害者なのかもしれないと考える事がある。もしそうだったら誰にとっても救いがない。そう考えて悲しくなる事がある。
そして実際にそういった少年犯罪のうちのいくつかは、本書で描かれている様な非行少年が犯しているのだろう。
彼らはいわゆる世間一般の常識といったものと同じ物を認知出来ていない。
Rey複雑図形という書き写しのテストがある。少年院で最も手がかかる非行少年の写した結果は認知のズレを余りにも象徴的に表している。
表題のケーキもなかなかに恐ろしいが、彼らは決して精神のネジが飛んだバケモノではない。恐ろしさの正体が認知のズレであると医療少年院に従事した著者は教えてくれる。
認知のズレは認知力の弱さが原因だ。
何より重要なポイントは認知力の強さ・弱さはグラデーションであり、1と0で明確に分かれる様なものではない事である。
人口の十数%はいるとされる境界知能の人々は、社会的なフォローの網にも掛からず、その多くは本人も気付かず普通の生活を営んでいる。他の人より激しい生きづらさを抱えて。
ケーキの切れない少年は生き辛さが爆発し、少年院で初めて障害を発見されるのだ。
著者のあげる非行少年に共通する特徴5選にはドキッとした人も多いのではないかと思う。
これは、程度こそ違えど普通の大人でも抱えうる欠点だ。
要するに程度問題なのだ。
ケーキの切れない人々と、「普通の」人に明確な断絶はない。境界の人々とは地続きだ。
そして境界の人々を助けるのに、今の社会では圧倒的に理解も手も足りていない。
救いがないと言ったのはそういう事だ。
発達障害や知的障害の違いや定義については本書でも概要は触れられているが、細かなそれぞれの症例には触れられていなかったので具体的なイメージが掴みにくかった。ここに関しては何か他の本を読もうと思う。
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