妊婦版ライアーゲーム。
中学3年生が幸せで安全な出産を実現するためにデスゲームに参加する。いや産むための戦いだから、文中の言葉を借りればバースゲームか。
もはやストーリー付きのラップバトルなんじゃないかと思うレベルの言葉遊びのシャワー。西尾維新を久し振りに浴びたが充分に堪能できた。
テーマが出産という事も相まってか、知らない単語を調べながら読み進めるのもまた楽しい。
少女不十分のように、アンモラルな設定によるおぞましさと人間の温かみを反復横跳びする西尾維新で非常に好みのスタイル。
個人的な感想で、10年代の物語は結論を保留する主人公がかなり増えたんじゃないかと思っているが、本作の主人公・宮子もその1人だ。
最終的には宮子と父との関係性は判明せず仕舞いのまま。可能性が不確定な事を楽しむという決意を新たにこの小説は終わる。
モラトリアムはモラトリアムのまま。成長しない事を受け入れる主人公像。
じゃあ宮子は成長しなかったのかというと、それは違うと思う。
宮子の課題は言うまでもなく「親子関係」である。
通常、親子関係というと子が親を乗り越える、つまり宮子の場合は、母を超える事がベーシックな成長と言えるだろう。
だが宮子は母を超える事は選択しなかった。
代わりに、父とパートナーとして対等に立つ事を選んだのだ。エピローグの会話で父のビジネスプランを語って見せたのはそういう事だ。父との関係性がどうであろうと、対等に立ってやっていけば産みの苦しみを、そして喜びを楽しめる。
そういう強かな成長物語だったのだと思う。
この小説には母親は直接は登場しない。
宮子の母は客観的に言えば虐待と言って差し支えない行為を宮子に強いており、その事は宮子自身も理解している。だからこそデリバリールームへ参加したのだが、一方で母親に対する愛情もある。
宮子にとっては倒すべき、乗り越えるべき相手ではないのだ。これが面白くて異常なところであると言えるし、ある意味で普遍的な家族の問題なのだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿